EVにゲームチェンジを起こす
「固体電解質」
社会実装に向けた想いで
前例のない難題を切り拓く

  • 先進マテリアルカンパニーリチウム電池材料部 材料開発センター
    N.NAKAYA
  • 先進マテリアルカンパニーリチウム電池材料部 パイロット準備室
    Y.WASHIDA

2023年10月、出光興産はトヨタ自動車と共同記者会見を開いた。そこで全固体電池の量産に向けた協業を開始することが発表され、人々の耳目を集めた。石油精製の過程で発生する硫黄成分を原料とした「硫化リチウム」から、全固体電池のキーマテリアルである「固体電解質」を開発・量産する。まだ世の中に存在しない「材料」の開発と量産に携わる、リチウム電池材料部の担当者に「切り拓く」をテーマにインタビューを行った。

INTERVIEW POINT

N.NAKAYA
2009年入社、機能材料研究所に配属。機能性樹脂の製造触媒開発を経て、2014年に先進技術研究所に異動、先端素材開発を担当。2016年からリチウム電池材料開発センターにて固体電解質の材料・プロセス開発を担当、2018年チームリーダー、2021年グループリーダー、2024年から材料開発センター所長も兼務。

Y.WASHIDA
2006年入社、千葉事業所潤滑油一課に配属。潤滑油の生産プラントの運転を担当。2015年からベトナム事業室にてニソン製油所の立ち上げに従事し、約5年間の赴任を経て2020年に生産技術センターに異動。2021年リチウム電池材料部エンジニアリンググループ、製造技術グループを経て、2024年プロジェクトマネジメントグループに着任。固体電解質の量産に向けて、現在能力増強工事を実施している小型実証試験(第1プラント)の試運転・試作業務のリーダーとして勤務。

挑戦の始まりは30年前
石油精製の副産物に
付加価値を付ける研究が
今につながる

契機はオイルショック。石油に頼るのではなく、新しい事業を模索する中で照準を定めた「硫黄成分」

N.NAKAYA 「オイルショック以降、石油に頼るばかりではなく、新しい事業を作っていくための活動が研究所で行われていました。石油精製の過程で、出てきてしまうのが硫黄成分です。これに付加価値を付けて世の中に提供できないかという議論がありました。
これに関連して、1990年代に、ポリフェニレンサルファイド(PPS)という樹脂の原料として『硫化リチウム』を使うと、PPSが作りやすくなることが分かりました。結果としてPPSの製造にこの技術を採用することはなかったのですが、出光独自の高純度な『硫化リチウム』の工業的製造技術の確立に繋がったため、用途開拓をすることになりました。調査を進める中で、あるアカデミアの研究に行き着き、『固体電解質』の中間原料として『硫化リチウム』が使えることがわかったと聞いています」

—それが、今の固体電解質の開発につながるのですね—

N.NAKAYA 「そうですね。調べていく中で、『固体電解質』は全固体電池の性能のカギを握る重要な材料であることがわかりました。そこから、『硫化リチウム』のターゲットが『電池』になりました。私たちは、原料メーカーになるのか、『固体電解質』を提供する材料メーカーになるのか、それとも全固体電池を作るメーカーになるのか。いろんな選択肢がありました。その中で『量産技術がいちばん活かせる材料メーカーの立場を取ろう』という結論になったと聞いています」

Y.WASHIDA 「『硫化リチウム』に関しては、まずはラボでの小さな合成設備での検証を行い、その後小さなベンチプラントを試作したと聞いています」

—30年にわたって研究開発を続けてきた先輩方を、どのように思われますか?—

Y.WASHIDA 「先見の明があったというか、折れずにやり抜いたことに感動します。その材料にかける思い、『絶対に世に出すんだ』というマインドが先輩方の中にあったのだと思います」

N.NAKAYA 「『固体電解質』に着手した頃は、『全固体電池って研究分野では聞いたことあるな』ぐらいの認知度だったはずです。でも、先輩方は『これが世の中に新しい価値を提供していくはずだ』と信じて取り組まれてきたのだと思います。有機化学(石油)を基礎とする会社で、無機材料の開発に取り組むことに対して応援が得られにくい場面もあったと聞いています。苦しい時代も含めた30年間、信念を持って突き進んできたというのは本当にリスペクトします」

大きな転換点となった国際二次電池展。明るい光が見えた瞬間

—理解が得られなかった時代もあったのですか?—

N.NAKAYA 「全固体電池は、昔は夢の電池と呼ばれていました。液系のリチウムイオン電池の性能もぐんぐん上がってきているところで、『全固体電池って本当に作れるの?価値はあるの?』という逆風があったそうです。
転機のひとつが、2009~2010年に全固体電池の市場を喚起させるために自分たちで電池の試作品を作って参加した展示会です。ここで全固体電池の耐熱性や、安全性といった可能性をアピールしました。その結果、自動車や関連メーカーからのコンタクトが始まったと聞いています」

Y.WASHIDA 「全固体電池の可能性と実現性を見出す、こうしたきっかけづくりに、出光が貢献させてもらえたのかなと思っています」

N.NAKAYA 「自動車メーカーから声をかけていただいたのは、心強かったと聞いています。実際それがきっかけになってトヨタとの本格的な取り組みにもつながったので、いちばんの転換点だったと思います」

世にないものを
この手で作り出す
トライ&エラーを繰り返して
着実に前に進む

「やるしかない。自分が責任を取る、お前に任せたぞ」

2019年、出光興産の次世代技術研究所は、超大型の台風19号の暴風雨に見舞われ、甚大な被害を受けた。まさにその時、『固体電解質』の開発チームの作業は佳境に差し掛かっていた。

N.NAKAYA 「お客様での材料選定が差し迫り、日進月歩で材料を改良しなければいけない時期に大型台風が直撃して…。研究所のエリアが全停電・全断水になり、出社禁止命令が下りました。通常であれば研究はストップするのですが、『腹をくくって、やれることに全力で取り組もう』という話になりました。
幸い、近隣の千葉事業所は停電も断水も起きていなかった。そこで、自分たちで研究所の実験装置を取り外して車に積み込み、千葉事業所に設置して、実験ができる環境を作りました。また、研究所で直体制(交代勤務)を組むことはめったにないのですが、研究者のみならず生産技術職の人たちも集まって直体制を組んで材料改良を進め、何とか苦難を乗り越えました」

—報告の期限が差し迫っていたのですか?—

N.NAKAYA 「はい。このまま復旧を待っていたら、次の改良材を提供する期限に間に合わないかもしれないという、危機的な状況でした。通常、何回かの改良を経て材料選定に至りますが、もちろん先方にも開発計画と納期があるので、提出した材料についてフィードバックを受けるタイミングは限られます。それらの機会を逃さず、自分たちの技術を目標にアプローチさせたいと思っていたので、必死でした。当時、心が折れそうだった私に上司がかけてくれた言葉が『自分が責任を取る。お前にしかできないからやってくれ』というものでした」

Y.WASHIDA 「嬉しい言葉ですよね」

N.NAKAYA 「私はリーダーという立場だったので、その状況下でも研究を続けたいと思っていました。でも、メンバーが付いてきてくれるかすごく悩んで…。上司が『そんなことは気にしなくていい。お前にしかできないんだからメンバーを引き連れてやってくれ』と明確に言ってくれたので、吹っ切れました」

Y.WASHIDA 「出光にはそう言ってくれる上司が多い気がしますね」

高度な計算やシミュレーションでも計り知れない、粉体の難しさ

自動車業界ではBEVの普及に伴って、液系リチウムイオン電池における長時間の充電時間や航続距離の短さという課題が顕在化している。これらの課題を改善し、マーケットのゲームチェンジが期待される全固体電池の実用化に期待が集まる。

N.NAKAYA 「材料メーカーは通常、お客様から目標値を与えられ、その達成に向けて開発に取り組むのが基本です。ですが、『固体電解質』は目標値が決まっていません。仮説を作って試して、ダメだったらどうすればいいかお客様と一緒に考えさせてもらう。擦り合わせをさせていただきながら両社で技術を構築していくところが、開発のいちばんの難しさであり、やりがいでもあります。まだ世の中に無いものを生み出すので、直面する課題がすべて“世界で初めての課題”ですし、誰も解決策を持っていません。私たち自身で乗り越えていかなくてはならないのです。
あと、『固体電解質』はとても細かい粉体で、取扱いに難しさがあります。例えば、液体を曲がったストローに通しても上から下へスムーズに流れ落ちますが、ストローの中に粉を詰めると落ちないですよね?」

Y.WASHIDA 「曲がった部分で引っかかりますよね」

N.NAKAYA 「それが量産プロセスでも起こってしまう。どうやってスムーズに粉を流して量産していくかというところに、開発上の難しさ、技術的な難しさがあります」

Y.WASHIDA 「模擬でいろいろ実験したり、流動解析とか、他の部門に3Dで粉の動きを計算してもらったり。こういうスケールアップをしたときにはこういう流れになる、という理屈を検証した上で、設計を進めていきます。
粉なので歩留まりも悪くなりやすいですし、付着も大きくなる。溜まってしまった粉を振るい落とすために、ノッカー(空気の力で配管等を叩くようなもの)をどの位置に設置すればよいか、小型実証設備で検証してスケールアップをします」

N.NAKAYA 「付着の起点がどこにあるかを解析してもらって、それを設備設計に反映するという、とても高度なことをやっています」

Y.WASHIDA 「でもあくまで計算上であって、実際にやってみなきゃ分からない」

N.NAKAYA 「開発の難しさってそこもありますよね。粉体のスケールアップは、やってみないと分からない。化学工学的な計算とかシミュレーションだけでは分からないことがたくさんあります」

Y.WASHIDA 「スーパーコンピューターを使っても、実際に起きることはミクロの単位で誰も計算できない。だから、ちょっとずつ段階を踏んでいかないと、大きなスケールアップは難しいと私は思います」

社会実装に向け
開発と並行して
量産を進めるために
日々問われる判断

その日その場で起こったことに対して、待ったなしの判断が要求される

2024年10月、出光興産では、全固体電池の材料となる「固体電解質」の大型パイロット装置の基本設計を開始。

Y.WASHIDA 「大型パイロット装置の基本設計決定という1つのマイルストーンがあって、私達にバトンが回ってきました。私は今、小型実証設備の能力増強に携わっていますが、この能力増強は、大型パイロット装置の稼働を想定した量産技術の検証を行うためのものです。新しく導入する設備の工事が着々と進む中、私はその裏側で、操業において必要な仕組みや物流などの構築を行っています。この2つが合流してやっと、実際に試運転をしていくことになります。計画通り能力増強を完了し、量産技術の検証を進めることがミッションですから、その日その場で起こったことに対して迅速に対処する必要があります。新しい装置を立ち上げると毎日何かが起きますが、すぐに次の手を打って、優先順位を付けながら進めています」

想像を遥かに超える粉体を量産する難しさとは

Y.WASHIDA 「量産を山形の芋煮フェスティバルを例にして、説明します。芋煮フェスティバルは、大きなコンロの上に直径5~6mの鍋をセットして、ショベルカー数台が材料をかき混ぜて作っていくっていうプロセス、製造方法ですね」

N.NAKAYA 「芋煮の製造方法(笑)」

Y.WASHIDA 「家庭なら材料を切って入れて、ヘラで混ぜて…となりますが、量産は鍋の大きさから厚さから全然違う。家庭用の鍋の厚さは数mmだけど量産は数cmレベルになりますよね。外側から熱を与えると表面しか熱がつかない。均一に攪拌したり、いろいろ手を加えたりしないと、ここは熱いのに、こっちはいつまで経っても冷たいとか。熱の伝わり方も計算できるかもしれないけれど、ミクロの世界が連続的に重なっていくと何が起きるかわからない。そこが量産の難しさですね」

N.NAKAYA 「そして難しいのは、やっぱり粉体であることですよね。液体を温めるのと粉を温めるのは全然わけが違う」

Y.WASHIDA 「本当にそう思います。液体は流動するんですよね。加温していけば自ずと対流が発生します」

N.NAKAYA 「ヤカンの水を温め続け沸騰させると、どこを測ってもちゃんと100度になります。ですが、鍋に粉を入れてコンロにかけても、鍋に当たっている面は100度以上だろうけど、中は温まってない」

最終的に誰かが決めなくてはいけない。だからこそ話し合う

—材料の仕様や量産方法が決定してから、量産プラントの設計に入るのが一般的です。今回は並行して進めているとのことですが、どのような点に難しさがあるのですか?—

Y.WASHIDA 「未だにベストな工程を探索する余地がある、という点があります。装置建設のプロジェクトに携わっている人間は、『この日までに装置を完工させる』という目標に向け工程を組みます。具体的には、採算性評価をして装置の基本計画を立て、設計を進め、資材調達、建設、試運転という流れになります。ただ、『固体電解質』の量産検証を進めていくうち、別の工程のほうがもっと多く作れるとか、もっとシンプルに作れると分かることもあります。
そういった場合は材料開発側とプラント設計側でネゴシエーションをしながら検討を進めることが必要です。誰かが最終的に決めないと、お客様に提供できなくなる。ある程度厳しい判断が、プロジェクトのリーダーには求められます」

—いい検証結果が出ないと、材料開発側に粉体の設計変更を相談することもあるのですか?—

Y.WASHIDA 「難しいときはみんなで集まって話をします。ただ、目標となる材料の性能はある程度決まっているから、出来る限り、それに合わせる形で運転側やプロセス側を変える策を検討します」

N.NAKAYA 「鷲田さんみたいにたくましい人は、『実現するためにやるしかないだろう』って言ってくれるのですが、製造工程の技術的な難しさを踏まえて、材料仕様側にアレンジの余地がないのか検討することもありますね」

Y.WASHIDA 「リチウム電池材料部ってコンパクトだし、話ができるタイミングが多くあるので意思決定がとても速い。ただ、大きい組織なら負荷が分散されるけれど、小さい組織は一人当たりの負荷が上がってしまうこともある。小さい組織だとみんながある程度エキスパートじゃないと回っていかないので、そういった難しさもあるかな」

N.NAKAYA 「確立された事業と違って、やらなければいけないことも日々変わっていくので、自分がやる範囲ももちろん変わってくる。仕事が間に落ちてしまったときに『どっちが拾う?』ってなると『自分の仕事じゃないと思っていたのに、拾う羽目になった』と捉えてしまう人もいる。日進月歩で変化しているがゆえに、気持ちの面でついてこられないメンバーが出ることも時にはあるかもしれませんが、鷲田さんがしっかりとフォローアップをしてくれていると感じます」

ベトナムニソン製油所勤務時代に学んだ、仲間との融合

Y.WASHIDA 「言い方とか雰囲気作りって、組織にとってすごく大事。怒ることがあってもいいのですが、その後、切り替えて普通に話すことを意識しています。怒りがずっと続くとみんな嫌になるので、スパッと終わるようにしています」

—何かきっかけがあったのでしょうか?—

Y.WASHIDA 「2015年から、ニソン製油所の立ち上げ業務に就いていました。計画の変更やトラブルにも対応し、それこそ馬車馬のように働きました。『絶対にニソン製油所を立ち上げるんだ』という強い思いがあったから、乗り越えられたと思っています。
当時、私も若かったのでベトナム人の仲間に対して強く言ってしまったり、彼らの文化・考え方を尊重しきれずに指示を出してしまったりしたこともありました。多くの日本人が帰国して少数の日本人しか残っていない中で、ある大きな業務に取り組むことになりました。所長も運転部長もほとんど外国人で、スタッフの一員として自分がいたわけです。その時に学んだことは、感情を伝えることは大事ですが、相手を尊重しながら話さなくてはいけないということ。そうしないと、人って絶対に動かないんです」

リチウム電池材料に従事することになった、その時の気持ちは?

—世にないものを開発し、量産する難しさを聞いてきました。リチウム電池材料に携わることになったとき、率直にどう思いましたか?—

Y.WASHIDA 「新しいことにチャレンジさせてもらえて、ありがたいなと思いました。私は、プロダクションエンジニアというポジションで入社して、生産技術センターに異動したタイミングでスタッフエンジニアに代わりました。装置を運転する側から作る側に回ったわけです。『新しいものに挑戦したい、自分の装置を立てたい』という目標がもともとありました」

N.NAKAYA 「私がこのプロジェクトに入った当時も急成長の途中だったので、呼んでいただけたこと自体、とても光栄だと思いました。これまで携わってきたことと分野は違いましたが、出光のこれからの未来を背負って立つ分野に呼んでいただいたことが嬉しかったですね」

2025年2月、出光興産は「硫化リチウム」の製造設備の建設決定を世に発表。社会実装までの階段を、もう一段上がった。

技術のバトンを受け継ぎ
夢と呼ばれた未来が今、
現実になろうとしている
その想いと覚悟は

社会実装するにあたって、いちばん超えなくてはならないハードルとは?

N.NAKAYA 「いくらラボスケールで良いものが作れても、量産した際に同じ性能が出ないと意味がない。量産していくということが最大のハードル。そして、お客様のところでしっかり性能が出る、材料として貢献できるということ。サンプルやデータを滞りなく出していくことが、私たちに求められるミッションであり課題です」

—「固体電解質」を世界標準にしていく意気込み、技術に対する想いは?—

N.NAKAYA 「『固体電解質』を標準化し、世の中に浸透させるには時間がかかると思っています。液系のリチウムイオン電池も進化を続けている中、一定のポジションは取っていきたいと思いますが、世界を席巻するには時間がかかるかもしれません。そういう意味で、自分たちの世代だけで終わる話ではない。僕ら技術者としては、特許をはじめ、実験データや記録なども含めて、残すべきものをしっかりと残していきたい。
今まさに僕らが立ち向かっているのは、全固体電池を世の中に出していこうというところ。まず、実証のタイミングまでは、責任を持って仕上げたいと思っています」

Y.WASHIDA 「この部には、各々の工程や研究に対して、プライドを持っている人が非常に多いと感じています。若い世代も自分の仕事にプライドを持って働いてくれています。懸命に研究して特許を取得したり、報告書をたくさん書いたり、今後につながる成果を残してくれています。若いスタッフエンジニアと現場に行って試運転をすると、「これは自分がやり切ります」と、時には残ってまで対応してくれる。そういったやり抜く気持ち、覚悟を持った人間を育てることも大事だと思います」

—「固体電解質」は出光の重点4事業に位置付けられています。「固体電解質」でどんな未来をつくっていきたいですか?—

N.NAKAYA 「私たちの材料が売れればいい、ということではありません。全固体電池で期待されている急速充電性や航続距離の向上も実現して、世界の人々の役に立ちたいと思っています。
最近では、日本人のノーベル賞受賞者が減ってきたと言われていて、率直に日本人として悔しいですね。出光も日本の産業の一つの軸となるポジションでい続けたいですし、日本の技術力をアピールしていきたいです」

Y.WASHIDA 「『固体電解質』には、いろんな可能性が秘められていると思っています。今は主にEVを想定してスタートしていますが、その他のアプリケーション、ドローンに留まらず空飛ぶ車にも全固体電池が使われるかもしれない。人々の暮らしがもっと豊かに、便利になった分、更なるチャレンジができる。そういったチャレンジの材料になってほしいですね。明るい未来が待っていると思います」

—そういった未来を実現するために、欠かせないことは何でしょうか?—

N.NAKAYA 「いろんな失敗があって、成功につながっていくと思っています。研究の世界では『千三つ(1000のアイデアのうち成功するのは3つ)』とよく言うので、たくさん失敗もしたいし、たくさん成功につないでいきたい。失敗してくじけること、歩みを止めることが一番のリスク。30年前から脈々とつながってきたこの事業、この技術ですので、次の世代にバトンを渡すために、私たちも歩みを止めずに粘り強く挑戦し続けていきたいです」

Y.WASHIDA 「私は、上司に恵まれてきたなと思っています。厳しく仕事を指導してもらった時期があって、今となっては良い思い出、感謝しかない。優秀な方って『何が何でもやり遂げる、絶対に結果を出す』という信念を持って働いているんです。私もそういったマインドを受け継ぎつつ、自分として譲れないものも守りながら、行動と結果で示していきたいと思っていますし、そういうマインドの人を育てて増やしていきたいです」

ANOTHER STORY

夢物語と言われた未来が、出光の技術力・チーム力によって現実になろうとしている。開発と量産チームを束ね、率いる両名に互いについて聞いてみた。

N.NAKAYA:
「量産化におけるキーパーソンであり、頼りになるパートナー」
鷲田さんは、やると決めたら本当にやる、実行力のある人。相談を持ちかけても初めから否定することはせず、「分かりました」と一回飲み込んでくれた上で、議論に応じてくれます。無理難題に思えることであっても、「こうしたらできる」と、可能性を探る相談にもしっかり乗っていただいており、頼りにしています。

Y.WASHIDA:
「偉大な研究者であり、やさしいマネジャー」
お互いがいい距離感ですよね。情報は中谷さんのほうにより多く集まるから、私のほうが積極的に拾いに行くようにしています。職務内容は違っても、目指す先は一緒だから何でもオープンに話をするようにしているし、中谷さんはそれができる人。でも、ニコニコしながら名前を呼んで話しかけてくるときは、大体やっかいな相談だなって、最近気づきました(笑)。

※2025年2月時点