その日その場で起こったことに対して、待ったなしの判断が要求される
2024年10月、出光興産では、全固体電池の材料となる「固体電解質」の大型パイロット装置の基本設計を開始。
Y.WASHIDA
「大型パイロット装置の基本設計決定という1つのマイルストーンがあって、私達にバトンが回ってきました。私は今、小型実証設備の能力増強に携わっていますが、この能力増強は、大型パイロット装置の稼働を想定した量産技術の検証を行うためのものです。新しく導入する設備の工事が着々と進む中、私はその裏側で、操業において必要な仕組みや物流などの構築を行っています。この2つが合流してやっと、実際に試運転をしていくことになります。計画通り能力増強を完了し、量産技術の検証を進めることがミッションですから、その日その場で起こったことに対して迅速に対処する必要があります。新しい装置を立ち上げると毎日何かが起きますが、すぐに次の手を打って、優先順位を付けながら進めています」
想像を遥かに超える粉体を量産する難しさとは
Y.WASHIDA
「量産を山形の芋煮フェスティバルを例にして、説明します。芋煮フェスティバルは、大きなコンロの上に直径5~6mの鍋をセットして、ショベルカー数台が材料をかき混ぜて作っていくっていうプロセス、製造方法ですね」
N.NAKAYA
「芋煮の製造方法(笑)」
Y.WASHIDA
「家庭なら材料を切って入れて、ヘラで混ぜて…となりますが、量産は鍋の大きさから厚さから全然違う。家庭用の鍋の厚さは数mmだけど量産は数cmレベルになりますよね。外側から熱を与えると表面しか熱がつかない。均一に攪拌したり、いろいろ手を加えたりしないと、ここは熱いのに、こっちはいつまで経っても冷たいとか。熱の伝わり方も計算できるかもしれないけれど、ミクロの世界が連続的に重なっていくと何が起きるかわからない。そこが量産の難しさですね」
N.NAKAYA
「そして難しいのは、やっぱり粉体であることですよね。液体を温めるのと粉を温めるのは全然わけが違う」
Y.WASHIDA
「本当にそう思います。液体は流動するんですよね。加温していけば自ずと対流が発生します」
N.NAKAYA
「ヤカンの水を温め続け沸騰させると、どこを測ってもちゃんと100度になります。ですが、鍋に粉を入れてコンロにかけても、鍋に当たっている面は100度以上だろうけど、中は温まってない」
最終的に誰かが決めなくてはいけない。だからこそ話し合う
—材料の仕様や量産方法が決定してから、量産プラントの設計に入るのが一般的です。今回は並行して進めているとのことですが、どのような点に難しさがあるのですか?—
Y.WASHIDA
「未だにベストな工程を探索する余地がある、という点があります。装置建設のプロジェクトに携わっている人間は、『この日までに装置を完工させる』という目標に向け工程を組みます。具体的には、採算性評価をして装置の基本計画を立て、設計を進め、資材調達、建設、試運転という流れになります。ただ、『固体電解質』の量産検証を進めていくうち、別の工程のほうがもっと多く作れるとか、もっとシンプルに作れると分かることもあります。
そういった場合は材料開発側とプラント設計側でネゴシエーションをしながら検討を進めることが必要です。誰かが最終的に決めないと、お客様に提供できなくなる。ある程度厳しい判断が、プロジェクトのリーダーには求められます」
—いい検証結果が出ないと、材料開発側に粉体の設計変更を相談することもあるのですか?—
Y.WASHIDA
「難しいときはみんなで集まって話をします。ただ、目標となる材料の性能はある程度決まっているから、出来る限り、それに合わせる形で運転側やプロセス側を変える策を検討します」
N.NAKAYA
「鷲田さんみたいにたくましい人は、『実現するためにやるしかないだろう』って言ってくれるのですが、製造工程の技術的な難しさを踏まえて、材料仕様側にアレンジの余地がないのか検討することもありますね」
Y.WASHIDA
「リチウム電池材料部ってコンパクトだし、話ができるタイミングが多くあるので意思決定がとても速い。ただ、大きい組織なら負荷が分散されるけれど、小さい組織は一人当たりの負荷が上がってしまうこともある。小さい組織だとみんながある程度エキスパートじゃないと回っていかないので、そういった難しさもあるかな」
N.NAKAYA
「確立された事業と違って、やらなければいけないことも日々変わっていくので、自分がやる範囲ももちろん変わってくる。仕事が間に落ちてしまったときに『どっちが拾う?』ってなると『自分の仕事じゃないと思っていたのに、拾う羽目になった』と捉えてしまう人もいる。日進月歩で変化しているがゆえに、気持ちの面でついてこられないメンバーが出ることも時にはあるかもしれませんが、鷲田さんがしっかりとフォローアップをしてくれていると感じます」
ベトナムニソン製油所勤務時代に学んだ、仲間との融合
Y.WASHIDA
「言い方とか雰囲気作りって、組織にとってすごく大事。怒ることがあってもいいのですが、その後、切り替えて普通に話すことを意識しています。怒りがずっと続くとみんな嫌になるので、スパッと終わるようにしています」
—何かきっかけがあったのでしょうか?—
Y.WASHIDA
「2015年から、ニソン製油所の立ち上げ業務に就いていました。計画の変更やトラブルにも対応し、それこそ馬車馬のように働きました。『絶対にニソン製油所を立ち上げるんだ』という強い思いがあったから、乗り越えられたと思っています。
当時、私も若かったのでベトナム人の仲間に対して強く言ってしまったり、彼らの文化・考え方を尊重しきれずに指示を出してしまったりしたこともありました。多くの日本人が帰国して少数の日本人しか残っていない中で、ある大きな業務に取り組むことになりました。所長も運転部長もほとんど外国人で、スタッフの一員として自分がいたわけです。その時に学んだことは、感情を伝えることは大事ですが、相手を尊重しながら話さなくてはいけないということ。そうしないと、人って絶対に動かないんです」
リチウム電池材料に従事することになった、その時の気持ちは?
—世にないものを開発し、量産する難しさを聞いてきました。リチウム電池材料に携わることになったとき、率直にどう思いましたか?—
Y.WASHIDA
「新しいことにチャレンジさせてもらえて、ありがたいなと思いました。私は、プロダクションエンジニアというポジションで入社して、生産技術センターに異動したタイミングでスタッフエンジニアに代わりました。装置を運転する側から作る側に回ったわけです。『新しいものに挑戦したい、自分の装置を立てたい』という目標がもともとありました」
N.NAKAYA
「私がこのプロジェクトに入った当時も急成長の途中だったので、呼んでいただけたこと自体、とても光栄だと思いました。これまで携わってきたことと分野は違いましたが、出光のこれからの未来を背負って立つ分野に呼んでいただいたことが嬉しかったですね」
2025年2月、出光興産は「硫化リチウム」の製造設備の建設決定を世に発表。社会実装までの階段を、もう一段上がった。