尊重すべき人間は愛の手で育つ


43年度新入社員教育 洗車 於姉ヶ崎給油所

(出典:『人間尊重五十年』 43~44頁)

純朴なる青年学生として人間の尊厳を信じて「黄金の奴隷たるなかれ」と叫んだ私は、これを実行に移して、資本主義全盛の明治、大正時代においては、人材の養成を第一義とし、次いで戦時統制時代においては、法規、機構、組織の奴隷たることより免れ、占領政策下においては権力の奴隷たることより免れ、独立再建の現代においては数の奴隷たることから免れえた。また、あらゆる主義にとらわれず、資本主義、社会主義、共産主義の長をとり短を捨て、あらゆる主義を超越しえた。かくて五十年間、人間尊重の実体をあらわして「われわれは人間の真に働く姿を顕現して国家社会に示唆を与える」との信念に生き、石油業はその手段にすぎずと考えうるようになったのである。
それならどうしてそんな尊重すべき人間ができたかということなのであるが、これがまことに簡単である。簡単であるが実行は甚(はなは)だむずかしいことである。五十年前、私が門司で仕事を始めたときに優秀なる学校卒業生はこないから、家庭の事情で上級の学校へ進学できないけれども、人物も良く成績も良い子供を採用した。学問より人間を尊重したのである。はじめは、小学校を出たばかりの子供を連れてお母さんが会社にこられた。どうかこの子を頼みますといわれたときに、私はそのお母さんに代わってこの子を育てましょうと思って引き受けた。その母の愛を受け継いだ私はこれを実行に移し、それから今日まで、あらゆる場合にあらゆる適切な形で母の愛を実現した。これが家族温情主義といわれているのである。育てようという子供は辞めさせない、これが首を切らないということになった。もちろん、家庭に出勤簿なんかありえない。労働組合も要らない。子供が妻帯すれば、家賃も嫁の生活費も孫の手当もやることになるから、給料なんかも、しぜん生活給となる。お母さんはどこまでもお母さんであって、子供の喜怒哀楽に対してもお母さんらしくあるようにしているだけのことである。これを要するに、愛情によって人は育つという一言に尽きると思うのである。こういうふうにして、愛情あふれるお母さんが社内に次から次とできているわけである。

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