人間というものは、一生働いて働きぬくものである


計器室のグラフィックパネル 1959年

出典:『我が六十年間』2巻655頁

人間というものは、一生働いて働きぬくものだ。いまの世の中では、なにか贅沢(ぜいたく)をしたり、奢侈(しゃし)にふけったりすることが人生の目標のごとく言っているけれども、そんなことが人生の目標ではない。贅沢をすれば肉体上の楽しみはあるかもしれんが、精神的には非常な不安がある。贅沢や奢侈にふけることを自慢して他人を見下しているような人間は、人間としては下の下で、獣に近い人だと言うべきじゃないか。
いつも言って聞かせているように、離れ小島に一人でいるのならば、どんな勝手なことをしたり贅沢や奢侈をやってもいいだろうが、二人以上で社会をつくっているからには、お互いに幸せであるということを考えにゃならん。それが人生じゃないか。日本ではお互い、互譲互助ということを教えられている。互譲互助の精神の人が、自分だけ勝手なわがままをやるかどうか、考えればすぐわかることだ。それがいわゆる日本の神、皇室が教えられた、相手の立場を考えて「徳」の社会、「和」の社会をつくるということなんだよ。それだから「人の世界」の本質からいうと、一生働いて働きぬく、肉体的には苦労であるけれども、精神的にお互いに一緒になって人生を楽しむ。こうだろう。それには自分だけが肉体的になにか快感を覚えて精神的に苦しんでいるような人生は、ありうべからざるものだよ。それは「物の世界」の人生であって、「人の世界」の人生は肉体的に、お互いに苦しんで一生働いて、精神的に仲よく愉快にその日を送るということじゃないかな。

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