徳山製油所竣工式
(出典:『我が六十年間』第一巻 567~569頁)
諸君が学校に行ったのもその修養、鍛錬の一つに過ぎない。何%にしか過ぎない。諸君は百%だと思っているかも知れないが、私から云えば微々たるもので何%にしか過ぎない。それならばそれで良いかと云うと、そうではない。諸君は今後徳山の製油所に行くことになりますが、徳山という所は昔の毛利藩であります。諸君はもうこの話は聞いていないかも知れませんが、我々が子供のころ、非常に大切な話であると聞かされたのであります。
毛利元就は偉い大将でありましたが、その死際に病室に三人の男の子を呼び寄せて、三本の矢をそれぞれ與(あた)えた。まず一本ずつ取って折らせたところが、これは訳なく折ってしまった。今度は三本の矢を一緒にして折らせたところが折ることができない。そこで親の元就曰く「三人の兄弟が仲が悪く一人一人で居れば敵に簡単に折られてしまうけれども、兄弟三人仲良く力を合わせればいかなる敵も折ることはできない」という教訓を與えました。(中略)どこに団結がありますか?闘争のための団結はある。国民全体の団結は今はない。階級的に闘争するとか、あるいは会社の内部で相闘争するということで、団結というものは現在の日本にはない。これで国家が伸びるはずがない。まず団結すれば今の三本の矢のようにいかなるものがきても折ることができないというような大きな力になります。それには個人的修養をやった人が実を結ぶことになります。しかし、個人的修養をやった人、これが相戦うならば、修養をやった強い者同士の戦いは一層ひどくなり、修養をしない方が良いということになる。ボンクラでボヤボヤしておる方が戦えば弱くて済むということになるので、戦うならばボンクラの方が良いということになります。
個人個人が強くなって団結すれば非常な強い団結力を発揮する。これは簡単なことであるが現在の日本では見ることができないのであります。そこで、今年は私がこの仕事を始めて満四十五年になりますが、初めから今の一人一人が団結して強くなって、そうして偉大なる人間の力をつくって、これによってすべての仕事をやっていけるという方針を立てたのが今日の出光のあるゆえんであります。
それから諸君はことに多数の人と今後一緒に仕事をやることになるから、この団結力をつくるという、悪い戦いのための団結ではなくて、ものを完成する、つくり上げるための団結を今後やらなければならないと思います。