出光本社屋上「ネオンサイン」
(出典:『我が六十年間』第一巻 489~490頁)
初めて他郷に出て、神戸の学校に入ってからは、大阪というものが目についた。明治の末期日露戦後の財界繁栄の時代で黄金万能、金さえあれば馬鹿でも総領という金万能の時代であった。私共はこれに対して反感を持ち、是(これ)に対して人間中心ということを称えた。金が何だ、総(すべ)ては人である。人が決すべきだという学生らしい純真な簡単ないい分であって、人材養成というようなことに口角泡を飛ばしメートルをあげたものである。この頃は学生の間でも資本主義というハッキリした観念ではなくて、只(ただ)黄金というものの横暴さに反感を持ったということである。人を奴隷化する所の金の横暴を憎んだと見るべきである。資本主義を否定したわけではない。そこで金に使われる人でなくして、金を使う人になって見ようという考えから、私の人生はスタートしている。狂人とまでいわれて丁稚(でっち)奉公をして又油屋ともなった。今の事業も人と金との争い、即ち何(いず)れが主であり何れが従であるかを明かにするための一つの手段として経営しているに過ぎない。現在では排斥される言葉であるが、私は先(ま)ず自分を修養し鍛錬し次に店員に及ぼした。私の所では、人を鍛え上げ作り上げる事を第一とし、第二も第三も第四もそうであって金儲(もう)けは第五以下であると冗談半分にいい合って来た。人を主として金を従とするというこの金との戦い、これは苦しい日常であったが、十年二十年の後にハッキリ結果が現われて来た。これが私の事業である。私共は主義から見て資本主義であり、社会主義であり又共産主義の色合いもある。同時に資本家でもなく、社会主義者でもなく、勿論共産主義者でもない、ただの人間である。どんな主義でもよい点を取り入れている人間であり、そしてその団結があればよい。