イラン石油の輸入で得たもの


日章丸二世からアバダン製油所を望む

(出典:『我が六十年間』第一巻 486~487頁)

(前略)日を経るにしたがって、全国津々浦々から激励の声が電報や手紙となって山と積まれた。ことに裁判勝訴の報伝わるや、その声は真剣さを加えて来た。私はこれを青年の声と感じた。日本の青年は何物かを探しつつある。それは何であるか?私は大きな謎を課せられたと深い興味を持って来た。青年は、日本人とは何か、日本とは何か、と探し迷っている。まことに気の毒である。
一日も早くこの謎を解いて、進むべき目標を与えねばならぬ。君はうそつきだといわれ烈火の如く憤る日本人、君は泥棒だといわれては殴りかかる日本人、親のよろこびを喜ぶ日本人、弟の出世にわが身を忘れる日本人、友の苦労を分かち得る日本人、積りつもって祖先と祖国を忘れ得ない日本人――この血は青年の血管に十分に流れている。私の終戦後の経験に見るも、青年の望むものは利己ではない。もちろん給与でも、地位でも、名誉でもない。人のため社会のため大衆のために初めて生き甲斐を感ずるのである。
この信念が、青年を生きいきとさせていることを私は現実に知り得た。この尊い精神が、かつては尽忠報国の明治維新となり、明治の建国となったのである。敗戦という大打撃を受け、占領政策という枷(かせ)からまだ抜け出し得ない政府に、青年の目標を示せというのは少々無理でもある。国民自身がその目標を示すことが、民主主義でもあり義務でもある。青年は何物かを探しつつある。
(中略)終戦後の逆境にあって楽観してきた出光は、今後の順境にあって悲観することにしている。心の引きしめ、経営の合理化、経費の節約は、すでに固く申し合せができている。卵が大きくならないように、すでに警告は出されている。終戦後、国際カルテルのわれわれに対する厭迫(えんぱく)は、若い者を強く育てる結果になった。われわれとしては、これが何よりの大きな儲けであった。
くりかえしていう。私にとって、損得をはかるに超越した大きな儲けは、日本人としての血の流れが、青年の純真な血管に流れていることを知り得たことである。

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