新入社員に与う~卒業証書を捨てよ~


第一期訓練生入所式

(出典:『我が六十年間』第一巻 593~594頁)

(前略)それであるから、実社会というものは1+1=2ではないのであるから、それをよく諸君は頭に置いておかなければならない。そこで僕はこの間言ったように、学校の卒業証書というようなものを捨ててしまって、真っ裸の人間になって実社会と取組むということを言ったのは、実社会というものが非常に面倒な複雑な、矛盾の多い社会である、それで、そういうことを言ったのである。人間を取り上げて諸君が考えてみればすぐわかるが、このくらい矛盾のあるものはない。一つの問題を論ずる時に、自分に関係がないとそれを論ずる時にはたいていの人が公平無私、立派な議論を吐くが、しかし一旦それが自分の利害に関係がある場合には、初めの論とはまるで違った、しどろもどろの議論を吐く。これがいわゆる人間の本性であって、非常な矛盾というものがそこにあるわけである。(中略)けれどもこの心、精神、魂というようなものも、もしこれを悪い方に使ったならばむしろない方がいい。非常に害毒を流す。これを磨いて磨き上げていい方に使えば始めて萬物(ばんぶつ)の霊長として威張ることができるわけである。そういうふうに人間というものは、どん底の、非常な悪いどん底の人間と、神、仏に近いような立派な人間がある。その非常な階級の多い人間、また利巧(りこう)な人もあれば利巧でない浅い人もある。深さの非常に違う人もある。優劣、その他あらゆる段階の人間がおる。諸君の顔を見ても、同じ人間が世界に二つあるか。何億の人間に同じものが二つない。不思議なものが人間にある。それが実社会であるが、その人間が造った実社会の中に諸君が今度入っていって、あらゆる場面に向って堂々として自分の信念を貫き、自分の観察を誤らないようにするのは、これは並大抵のことではない。これであるが故に、修養鍛錬、経験とかあらゆることがいわれておる。(中略)

その社会に諸君が入るのであるから、諸君は今後一日一刻も無駄をしちゃいけない、考え抜いていい方向に向って実社会に適応するようにしてゆかなければならない。そういう複雑な人間であるから、魂、精神というようなものを悪く持つか、よく持つかということに帰着するのであるが、そういう複雑な人間を一プラス一に加えた時に二にならないということは、諸君大抵合点(がてん)ができるだろうと思う。それで出光は、人間が中心である。人間尊重、人間を尊重しなければならない、尊重すべき人間を造らなければならないというようなことをやってきたのも、そういう意味合いのものである。

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