つばめ


日章丸二世船上にて記者団の質問に答える出光佐三店主

(出典:「我が六十年間 第一巻」402~403頁)

春と共につばめが今年もやって来た。田圃(たんぼ)から粘土をくわえて来て巣を作ったと思うと、いつの間にか一羽のつばめが巣ごもり、間もなくいく羽(う)かの雛(ひな)の可愛いなきごえがきこえはじめた。親鳥は青空に鮮やかなつばめ返しの妙技を演じながら虫を捕えては運んで来る。雛は身体全体が口かと思われるような大きな黄色い口をあいてチイチイとにぎやかだ。親鳥たちは次から次へと順序正しく雛の口へ餌(えさ)を移してゆく。男はそとで働き、女は育児に専念する自然の教訓をそのままにみあきない楽しいながめである。
自分も長男が生れて、はじめて親としての情が芽ばえ、それから死をおそれるようにさえなった。母親が赤ん坊を育てる姿ほど神々(こうごう)しいものはない。火のつくような夜中の泣声も父親には小うるさいが母親の耳には天の音楽とさえきこえる。愛児の病が重いとなれば自分の命にさえかえたいと祈る、子を思う一念は犠牲の權化(ごんげ)であり、無私無我の絶対境である。こうした母親の情熱がなければ子は育たないし、人類の真の繁栄も望めない。
わが国では太古から婦人が尊重された。伊勢の大神といい、大神と表裏一体をなす国民の祖神である三女神といい、また女神を主神とする八幡の大神もある。わが国に家族制度が生まれたのは婦人が尊重されたからである。男はそとで働くようにできている。大いにそとで働き、そして雄つばめのように家族へ餌を運べばよい。婦人には家を護(まも)り子を育て子孫を繁栄させる尊き使命が授けられている。男女同権や婦人参政権も結構だが、女の天職はそんな安っぽいものではない筈(はず)である。物質文明の限りなき発達につれて女の尊き使命は次第に忘れられ、男は戦いを好んで平和を捨てたために人類はその本来を誤った。これが今日の世界混乱の因をなしている。よろしく男は反省してこの本来を見究(みきわ)め、そして婦人尊重の道を開かなければならぬ。その道は家庭である。
やがてつばめは南に帰ってゆくであろう。都会の人々は平和なつばめの世界に学ぶべきである。

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