ペルシャ湾上の日章丸


アバダン港で積荷する日章丸

(出典:「我が六十年間 第一巻」376~377頁)

終戦後の出光は日本の石油国策の確立を目標として猛進した。
我社の主張は石油消費者大衆の利益を計るを主眼として消費の増進と石油業界の発展を招來(しょうらい)すると言う極めて率直簡単なる言い分であった。
乍併(しかしながら)、此(こ)の消費者本位の我社の主張は、我国製油会社の反対する所となり我社は衆寡敵(しゅうかてき)せず遂(つい)に敵の重圍(じゅうい)に陥り孤軍奮闘悪戦苦闘の窮地に追いつめられた、占領中總(あら)ゆる手枷足枷(てかせあしかせ)は完膚(かんぷ)なき迄(まで)にはめられた。
此の重圍を脱せんがために尊き武器として與(あた)えたのが日章丸である。
昨年四月日本が独立して以来此の手枷足枷は次から次と取りはずされて居る。
此の外された枷の中で最も諸君に関係が深いのがガソリンの輸入が許可された事である。
昨年七月日章丸によりて米国ガソリンが輸入せらるるや日本のガソリンの品質の粗悪と高價(こうか)なる事が暴露され消費者を驚かした。自動車業者は年間三十億圓(えん)の利益を受ける事となった。次(つい)で我国製油会社は高オクタン價ガソリンの製造機械の輸入増設を計算し始めた。来年からは自動車のエンジンも損じないようになるであろう。日章丸の此の第一矢は我社をして敵の重圍より脱せしめる武器としての第一矢である。
次で矢つぎ早(ば)やに第二の矢は放たれた。日章丸は遠くパナマを越えてガルフの放れ業(わざ)を演じて唖然(あぜん)たらしめた。これは完全に敵の虚を衝いたのであった。揮発油輸入は此の尊き武器によりて勝利をかち得て消費大衆の希望に答えた。
独立迄の我国石油の歩きは堕落であり蹌踉蹣跚(よろけよろけ)の其日暮(そのひぐ)らしであり、確固たる目標がない。然(しか)るに独立後石油政策検討の聲(こえ)は急に起った。根本の枷は取り去られんとしている。
今や日章丸は最も意義ある尊き第三の矢として弦を放たれたのである。行く手には防壁防塞の難關(なんかん)があり之(これ)を阻むであろう。乍併弓は桑の弓であり矢は石をも徹(とお)すものである。ここに我国は初めて世界石油大資源と直結したる確固不動の石油国策確立の基礎を射止めるのである。此の第三矢は敵の心膽(しんたん)を寒からしめ諸君の労苦を慰(い)するに充分である事を信ずるものである。

ページトップへ遷移