誓いの信念


昭和11年開設の天津支店にて
(中央)出光佐三店主

(出典:「我が六十年間 第一巻」364~365頁)

開店後十年位経った頃と思いますが、或時(あるとき)この向うの応接室で或人(あるひと)と店の事共詳しく話しました。ところがその人は、「君は事業を芸術化せんとして居る」と、云(い)われた。何のことなしに聞き流した私は其(その)人が誰であったかを忘れたのは残念であります。星霜を経るに従って私は次第に事業の芸術化を強く考えるようになり、現在では社員間の合言葉となりました。芸術を論ずるは六ケ敷事(むつかしいこと)であるが、私は美、創作、絶大の努力の三つが必要であると思います。事業の美、それは国家社会大衆の為の事業である。単なる金儲けは真の事業ではない。国を売り社会を害するものは醜悪である。事業は 飽迄(あくまで)も国利民福の美を持たねばならぬ。事業は創作を伴わねばならぬ。単なる真似事では芸術とは云えない。それは職人の技巧に過ぎない。内池廉吉博士は私へ生産者より消費者への配給理念を教えられた。私共はこの理念の上に立って大地域小売業を創作しました。全国に小売配給網を完成しました。大経営の小売業としては百貨店があるが大地域ではありませぬ。私共の創作した大地域小売業は我国では確かに創作であり、或は世界的にそうであるかも知れませぬ。この創作大地域小売業の遂行は人間尊重による人力の發揚によるの外はありませぬ。卒業証書をかなぐり捨たる真の努力を要する。国利民福の美と大地域小売業の創作に向って人力の極致を盡(つく)すところに私共の事業の芸術化はあります。
皆様の前で申し上げるのには少しく過言に失すると思いますが、私共の自戒の言葉に「吾々は事業そのものを目的とするに非(あら)ずして、人間の真の力を現して国家社会に示唆を与うるものである」と云うようになったのであります。
四十年後の現在私共の忘れてはならない事は退職社員の功労と物故社員の努力とが今日の基礎を作って居ることであります。私共の現在立って居る信念の基礎は是等(これら)の人々の涙ぐましい結晶であります。四十年間連続した限り無き難関を突破せしめた最後の鍵は私共に対する国家社会の同情と恩恵とであったことを深く銘記せねばなりませぬ。
この先人の努力と、国家の恩恵と、社会の同情とを忘れない時に私共の前途は洋々であると信じ、四十周年誓いの信念と致します。

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