昭和32年 徳山製油所起工式
(左)出光計助副社長(右)出光佐三社長
(出典:「我が六十年間 第一巻」340~341頁)
試験が近付いて居(い)るのに試験勉強が出来てないので苦しんで居る夢は誰れにも共通な夢である。所が私には私丈けの夢がある。今の商売を他人に任せて更に神戸高商に四ヶ年を繰り返す夢である。私は幼時より育たないと言われた位に病身であった。慢性の神経衰弱がある。読書は好きであるが、すぐ不眠症となるので読めない、勉強しないので名をなしたのも弱いためであった。此(この)読書欲が再び学校に戻ると言う私独特の夢となるらしい。乍併(しかしながら)これ等の夢は五十近くなれば見なくなる。年を経るに従いしげく見る夢は腕白時代の夢である。小川の魚取り、山登りの険しい道、軍遊びの小山、等々、純情時代のものであり楽しいものである。夢の中に我欲の臭いがない。私は此の夢物語りの中から人間の本性を考えて種々な事に思いを走らせて居る。民族とか国とかが判るように思われる。今度の旅でこの楽しんで居る時に赤間の町会に来て皆に逢って貰い度(た)いとの事であった。仏事の中を抜け出した。町長や有志者の話の中に、昨年町制五十年の祝いをなしたが町としては一向に発展しないで困って居るとの紋切り形の話があった。私は次のような所感を述べた。事業には立地条件があるから条件の悪い所には事業は起らない、宗像郡は昔宗像神社の御神域である。大神の御神徳によりて、人情敦厚(とんこう)、気風剛健の特色を持って居て、多くの教育者を出して居る人間を作ることには優秀の立地条件を備へて居る。事業を起し金を儲ける丈けが人間の事業ではない。人を作る事こそ事業中の大事業である。此方向に進まれることをお勧めする。但し、こんな大事業は簡単に短時日の間に出来るものではない。殊にお互現在の国民は戦争をもとどめ得なかったような弱い落第生であるから、吾々の子供や孫の時代に此の大事業を完成する覚悟があらねばならぬ。先づお互の家族教育から始めるべきであると結んだ所が、更に質問が出て、此大事業をなすにも資金はなし如何共(いかんとも)致し難いがどうすればよいかとの事である。私は之(これ)に答えた。私の言う人は他人の金や恵みを期待して居るような依頼心を持つ人を作れと言ったのではない。先づ自分の事を完成し其余力を以て人の為に尽すような人を希望するのであって、依頼心のある人などは将来とても人のために尽す人ではない。排斥すべき人である。黒田如水公のいわれた。多きも人、少きも人なり、の少き人を作り度いのである。こんなことで座談会は終った。人間尊重は郷里へも徹底してない、人に頼る、更に人より奪う、此思想は権利思想のはき違いであろう。併しこれが現世の常識である。