国民的信念の確立

(出典:「我が六十年間 第一巻」301~303頁)

終戦後私は、国家の為に大に奮闘せねばならぬと云うような意味で国家の為に・・・と云う言葉を盛んに使った。處(ところ)が一般の人々は之に共鳴しないのみか、寧(むし)ろ、冷笑の態度さえ見せ付けられた。それ等の人々は云わく、吾々は国家のために働いてこんな惨(みじ)めな目に逢(あ)って居る。然(しか)るに吾々に国家は何を報いたか・・・と云うのである。私は直ちに答えた、戦時中態(わざ)と国家を口にした人々が、真に国家を思って居たのか、否自己の野望を遂げんがために国家の為・・・を悪用したのではないか。そして国民は是等少数の野心家に引きずられたと云うのが真相である。過去に於て真に国家を思い現在も真に国家を憂うる者は大多数の国民であると信ずる。国民は錯覚を起こしてはならない、そして国家のために全力を盡(つく)さねばならぬ。(中略)

吾々は戦時中「一億国民が出光人の如くあるならば戦争は必ず勝つ」と言ったことを思い起す。又敗戦後南方から帰った第一陣の石田君が「戦いに負けましたが、私共出光人は決して負けて居りませぬ、私共は店主から授けられた大使命を南方に於て果(はた)して来ました」との南方派遣出光人の第一声を思い起す。諸君の南方や大陸諸地域に於ける石油配給は官民賞讃の的となって、石田君の第一声を証明して居る。国家の為に精神力を傾倒した結晶である。終戦後出光再建に対して、全石油業者の迫害壓迫(あっぱく)にも不拘、是等の海外諸地域に於て出光人を見て居た是等の第三者の同情支援は、吾々出光人の知らざる偉大な力である。欺(か)くして、諸君が過去に於て出した處の、国家の為に盡した精神力は現在に於ても引続いて出光再建の為実力を発揮して居る。

「国民全体が出光人の如くなるならば、敗戦日本の再建は易々(いい)たるものである」と云うのも敗戦後私の言ったことである。この事は既に実現した。無から出立(しゅったつ)した出光が昨年完全に再建して居るのに反して、有から出立した国家と国民の再建は遅々として進んで居ない。

自己の為にする力は真の力でない。だから弱い、無私の力は強い、そして永久である、これが真の力である。婦人は弱いが母は強い、犬は弱いが番犬は強い、犬でさえそうである。尊重すべき人間として、国家のため、社会のため、人類のために発する力こそ真の力であり、強い力である。戦いに敗れて呆然(ぼうぜん)自失、国を忘れ、家を忘れ、自己を忘れてはならない。国家のため、そこに真の精神力は發露(はつろ)する。国民は信念を確立すべきである。

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