「人間尊重」の理解

(出典:「我が六十年間 第一巻」280~281頁)

出光には、事業を芸術化する、という言葉がある。
一般の人にはおかしく聞ゆるであろうが、吾々(われわれ)は此(こ)の理想を目指して日夜ベストを尽くして居る。この頃では古い人々の間には確固たる信念とさえなって居る。しかしこの間の呼吸が一般に誤解されて居る如く、出光人の間にも何のことかハッキリしないで迷っている人も少なくないと思われる。
人間尊重に対する理解に就いても同じように初めの間は理解されず却(かえっ)て誤解されたり錯覚を起したりしたものである。四十年前の創業当時には人材本位という言葉を使って居たがその後人間尊重とかわったのである。
当時は黄金万能、拝金思想の最盛時であったので人材本位人間尊重も何のことだかなかなか会得できなかった。盛んに迷い、盛んに錯覚を起したものである。人が働いては事業を伸ばし、これが資金難を起しては苦しみ、其(そ)の苦しみが人材を養成して更に事業を伸ばし、又事業が借金を作って人が苦しみ、此の苦楽の間に於ける絶えざる冥想、瞑想は五年十年十五年と続いた。金と人との本末は悟られた、人間尊重は次第に信念となったのである。

現在の世界は資本主義、民主主義、社会主義、共産主義の激しい闘争が展開せられ、全世界は第三の世界大戦をも辞せないという、人類混乱の未曾有(みぞう)の渦(うず)巻きと、悪鬼の如き喧騒の醜(みにく)き絵巻物をくり展(ひろ)げて居る、人間離れした不思議な世の中である。
元来民主主義といい、資本主義といい、自由主義といい、社会主義といい、共産主義といい、其の目指す所は人類の幸福であり、住みよい平和な人の世界を作る事である。人のための金であり、人の自由であり、そのための法律、理論である。究極する所総(すべ)ての主義は人のためという事を目標として居る。即ち出光のいう人間尊重が最後の目標であり、目指す所の最高峰である。
何(いず)れの主義も此の最高峰に登る道筋であり、方法であり、手段に過ぎない。その方法に就(つい)て議論し闘争して居るに過ぎない。富士登山の吉田口であり御殿場であり甲州口に過ぎない。登山路の選択に就ての議論であり、客曳(きゃくひ)きの争いに過ぎないのである。
然(しか)るに主義者の目指す遠き最高峰は主義者の近き身辺にある事に気付いていない、其道は自己主張にあらずして自己尊重であり、相互闘争にあらずして相互尊重にある事を忘れて居る。冷静なる議論にあらずして温き人情であり、険阻(けんそ)なる闘争にあらずして温愛融和の雰囲気である。議論闘争の道は自己主張の道にして、自己尊重人間尊重の逆コースである。人情や愛情こそ最高峰への近道である。理論や金に囚われてはならない。
吾々出光人は一気に、人間尊重の最高峰をかち得たのである。大所高所より世の混乱を傍観しつつ一点の迷いも感じないのである。此の最高峰に陣取って、山の上は絶景です、空気も新鮮です、気分も爽快です、一家団欒(だんらん)の楽園ですと、麓(ふもと)の人々に向って呼びかけ、又経験による近道を示唆して居るのである。

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