出光本社(現東銀座)1946年
(出典:「我が六十年間 第一巻」225~226頁)
(前略)終戦と共に無の上に立った出光が、馘首(かくしゅ)せずと声明して、当時狂人あつかいされたのも無理ではないが、帰って来た諸君は、身体は弱っていたが意気盛んであった。信念に生きていた、充分に人間中心の真髄を捉えていた、相互にいたわりあい、信頼し、一致協力、己を空(むなし)ふして、只管(ひたすら)再建に猛進し、遂(つい)に出光を再建の軌道に乗せた。
国民と出光、此(この)両者を比較する時に、有を無と化し、無より有を生みし、好(よ)い対象である。今や吾々は石油公団の出立(しゅったつ)後急激に国内に於(おい)て官民各界を感激せしめつつあると共に、GHQにも其(その)熱意が認められて来た。吾々(われわれ)は斯(か)くして、国家社会に再建に対する示唆を與(あた)へつつあるのである。
第二に吾々は事業を芸術化することである。芸術化の意義を六ヶ敷(むつかしく)考ふるまでもなく、力強く創作をなして而(しか)も美化することと解したい。人間尊重は人の力であり、大地域小売業は創作である。そして社会国家の福利をはかることこそ事業の美である。終戦後のラジオ修繕業、焼け工場の復活と人員の収容、タンク底油集積の放れ業、更に石油配給によりて全国的にサービスの観念を復活し、市場の民主自由化に全力を盡(つく)し、又国家の石油政策に対する信念等吾々は常に社会国家と共に歩いている事は諸君の承知の通りである。
国家社会に対する示唆と言い、事業の美化と言い、遠大崇高の目的を達成するには三年、五年、十年……永き年月をかさねなければならぬ。主義に妥協は許されない、であるから諸君も苦しいであろうが、近き将来を信じて暫く辛棒(しんぼう)してもらいたい、前途には実に頼もしいものが待っている、順境に居て悲観し逆境に居て楽観するの豫(かね)ての言葉を味わってもらいたい。