実力の選手たれ


石油の表示のない丸亀支店の看板

(出典:「我が六十年間 第一巻」221~222頁)

(前略)国民として再建実行の大切な年を迎ふるに当り、実力、実行の選手たる出光の責任は常に重い事を覚悟せねばならぬ。此(こ)の時にあたり出光人として一応自己を反省して出立に万全を期せねばならぬ。
出光の行き方は自力であり、実力である。絶対に依頼心を否定する。斯(か)くて個性の特長を発揮せしめ、之(これ)を中心とし基礎とする。而(しこう)して第一に店内に強き団結の力を作り、次で外部の正しき人々と協力し、資本を利用し、法規を活用し、理論を応用すると云ふ、人間尊重、独立自尊の行き方である、此の行き方が開店後三十四年の間に或程度(あるていど) の形を作った。
敗戦と云ふ悲惨な大衝撃を受け、出光は事業壊滅のドタン場に追ひ込まれ乍(なが)ら、割合に冷静に総(すべ)てを判断し、処置を誤らなかったのも、此の個性の力と団結の賜(たまもの)である。当時出光人として精神的にも肉体的にも活々(いきいき)として、国家の前途を達観し、平和新日本建設に与へられたる出光の使命に就(つい)て、落ち着いて考慮し、そして高き目標と遠大の計画とを立て得た。全く諸君の力が斯(か)くせしめたのである。(中略)

斯(か)くして諸君の過去の力は、終戦時に於て高き目標と遠き計画との基礎となり、此の目標と計画とは諸君の魂となり力となり、力は因果の関係をなして回転し尽きる所を知らない。昨年年頭の辞としての、橋流れて水流れず、と云ふ事を更に思ひ出される。出光の事業即ち橋は流れたが、人間即ち水は海に注ぎ、雲となり、雨となり、川となって永久に尽きない。「出光は事業そのものを目的とするにあらず、之を通じて人間の真に働く姿を実現して、社会国家に示唆を与ふるものである」との信念が喚起され、同時に二ヵ年の苦労を償(つぐな)ふて余りがある。諸君が働くのは給与が良いからだと一般に信じられて居るが、若(も)し諸君の給与の悪い実情が社会に知れたならば、社会は更に驚き、其(その)示唆は感動的のものとなるであろう。

人の真の力、実力は信念により湧き出るものとして、決して打算利害によるものでない。殊(こと)に若い人々は信念により初めて生きるのであり、出光の人は信念により生きて居るのであるが、此の出光の事業上の信念に就(つい)ては、外部より了解することが非常に困難であるは勿論(もちろん)、出光人と称する人々に真に且(かつ)深く了解している人が何人あるか、出光に残されたる問題である。ボツボツ乍(なが)ら落伍者の出るのは何よりの証拠である。実行の選手としてスタートするに当り、我々は信念に就て更に反省し、瞑想に耽(ふけ)らねばならぬ。そして堅き信念を以て実行の選手たらねばならぬ。

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