精神的復興の声


パイプラインの埋設作業

(出典:「我が六十年間 第一巻」199~200頁)

(前略)此(こ)の一喝によりて本心に立ち帰り魂を取返して見れば初めて自分の憐れな姿が目に付く。精神は虚脱して居る魂は抜けて居る。今頃漸(ようや)く精神復興の声を聞くようになった訳である。人に対する信念に就(つい)て出光と一般国民との間に非常の差があり、その結果再建に就ても非情の差異がある理由が、よくお判りになったと思う。

只(ただ)此(この)處(ところ)に大いに注意すべき事である。先頃出光の外部及内部から組織変更の声が出た事である。先般出光の幹部の中に軋(あつ)轢(れき)が起りゴタゴタした事がある。そこで事業別に会社を作るとか、部門を確然として分離し、是(これ)等(ら)に幹部を配置してその軋轢を除いたらどうかと言うような事であるらしい。要の組織、機構によりて此(これ)等(ら)の人々を引き放して此(こ)のゴタゴタを避けると言う行き方である。人間の欠点を機構によりて補うと言う人が機構に屈すると言う事である。出光の主義主張を徹底的に知らない外部の人としては当然の考えであり一般社会の行き方としてはそうするより外に方法が無い、又巧妙な方法である。しかしながら出光人が斯(か)く考える事は最も注意すべき事であって識(し)らず識(し)らずの間に主義主張を捨てて居ると言う事となるのである。出光の生き方は各個人が完成して更に団結する所に意味がある。如(い)何(か)に各人が強くとも烏合の衆であってはならぬ。又各個人が軋轢するようであれば各個人が強い程軋轢が強くなる、むしろ個人は弱い方がいいと言う事にもなる。故に無私団結なくして出光は存在しない。団結心こそ出光の最後の結晶である。団結心なき人々には団結するように之(これ)を訓練せねばならぬ。この訓練を止めて組織を作り一時を糊(こ)塗(と)する事は主義の放棄であり出光の破壊である。過去数十年間こんな事は何度あったか知らないが私は喧嘩する人は絶対に引き離さなかった。店員の内輪割れにより起る事業の不利を見せつけて軋轢の愚を知らしめ団結の要を納得せしめた。安価な授業料である。此度も見て居て愉快ではなかったが少しも心配はなかった。又かと見て居た。斯く訓練を続けつつ後継者を作り更に十人が百人と幾何級数的に増加すれば出光主義も社会国家に貢献する事となる。

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