所感(如何橋流而水不流)


長崎・木鉢油槽所 昭和24年頃

(出典:「我が六十年間 第一巻」189~190頁)

此處(ここ)に掛けてある一軸は、円通禅師仙厓和尚の筆であって、後方の人々には見難(にく)いだろうが、川に水が流れている上に一本の丸木橋がかかっていて、その橋を一人の人が落ちまいと腹這(はらば)って渡っている画で、贊(さん)に『戦々兢々人過橋上如何橋流而水不流』 と書いてある。
囚水が流れてチャント橋が懸っている画に橋流れて水流れずと言う贊である。これは禅の教えであるから色々な深遠な意味があると思うが私は此の中から物を近視眼的に見るな、遠き先の方を見よ、と言う意味を、又物を見るに其の一部に囚(とら)はれず全体を達観せよと言う意味を取り上げたいと思う。

流れない安全だと思ってシッカリとしがみついて居る橋はその実は何時かは朽(く)ち果てて落ちる。 戓は其人が取りついた刹那(せつな)に流れるかも知れない。安心の出来ないものである。之に反し其人が流れ失せると思う水は海に注ぎ雲となり、谷川の水となり永久に存在して居る。目で見てこそ橋は不動であり静の形であり、流れ失せる水は動であるが、一歩深く心で見れば橋こそ動であり水こそ不動であり静である。 之を水力電気に例を採るとすれば誰しも水の流れる力即ち動の力によって水力電気は起ると思うが、之を計画した人はダムに溜って居て流れない溜り水即ち静の力を基礎として設計したものである。一時的の流れを考えたのではなく水の永久性が考えられたのである。 吾々は物の見方考え方を此の画により教えられる。

大局的に日本に対する世界の観方(みかた)は根本に変って来た。殊に米国の輿論(よろん)は急変して来た。此の相反する二つの事実は何事を示唆するか。如何橋流而水不流の極意である。闇の橋、ゼネストの橋、其日暮しの橋、戦々兢々として国民は掴(つかま)って居る。何處(どこ)迄も他力依存である。
戦々兢々過橋上である。何時かは橋と共に流れる。二千六百年来不変な水、国体の水、自力の水、これこそ人の力であり頼むべき力である。水不流の悟りであり、肚の力である。眼前より目を放ち、そして遠き先を達観せよ。

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