敗戦を自覚せよ


引揚社員に宛てた店主の手紙

(出典:「我が六十年間 第一巻」184~186頁)

戦災によりて家を焼かれ物を失った同胞、更に預金封鎖によりて多年の蓄積を喪失した人々は只(ただ)五百圓(えん)生活に辛うじて露命(ろめい)を繋いでいるに過ぎない。
しかしながら敗けているのだと我慢している。更に海外よりの復帰者は両手に持てる丈(だ)けの荷物と現金千圓とがある丈けで、実に同情すべきと言うよりも悲惨の極みである。
此等(これら)の不公平なる悲惨な事情を眺めつつ自分丈けがよければよいと言うゼネストの行き方は賛成出来ない。敗けていると言う考えを持たない結果である。死に勝(まさ)るの苦しみに堪(た)へるの考え投薬にしたくとも無いのである。

私は昨年此後(このあと)来(きた)るべき艱難(かんなん)として、食糧不足、悪性インフレ、失業問題等を挙げたのであるが、食糧は豊作により緩和している。
インフレーションは政府の言うように、物質不足による物価騰貴が大部分あって、真の悪性インフレではない。
只此後賃金増加、従って起る物価騰貴、更に之(これ)が賃金の上騰となって初めて悪性となる。
今のようなゼネストによりて生産の減退を来(きた)すならば、之が物価騰貴となり、更に賃金値上となるのは当然で、是に悪性インフレは起り、之が産業を破壊してデフレとなり勤労者は働く場所を失って失業問題は深刻化するのみである。
ゼネストは勤労者自身墓穴を掘るものと言うべきである。
勿論(もちろん)生活の安定は国民に、絶対的のものであるが、是(こ)れも程度の問題である。
敗戦国民としては其(そ)の限度がある。敗戦国民としてはポツダム宣言実行の責任がある。
同胞に乏(とぼ)しきを分け與へる義務がある。堪へ難(がた)きを堪へ、忍(しの)び難きを忍ばねばならぬ。死に勝る艱難に堪えねばならぬ。 そして平和条約も締結され産業も復興され、一人前の国民となった時に、初めて平常の生活に入るべきである。
それ迄(まで)は敗戦の国民としての生活であらねばならぬ。乏しきを分け合う覚悟が必要である。
国民は敗戦によりて完全に精神を虚脱し僅(わずか)に一年にして其の原因たる敗戦をさへ忘却して自滅せんとして居る。
余りに無定見であり、無責任である。吾々は須(すべか)らく現代を超越して、そして社会に示唆(しさ)を与えねばならぬ。
責任は愈々(いよいよ)重大である。

※ゼネスト…ゼネラル・ストライキの略。労働者による全国的規模のストライキ

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