電気部下関店
(出典:「我が六十年間 第一巻」158~159頁)
昭和二十年と言う年は開闢(かいびゃく)以来初めて敗戦と言う汚名を甘受しなければならない年であり、子々孫々永久に忘れる事の出来ない年であり、又考えようによっては最も意義ある年ともなる。
敗戦後四ヶ月を経過して本年も将に暮れんとする。吾々(われわれ)は短かき四ヶ月顧み永き将来を瞑想(めいそう)せねばならない。
敗戦、詔書渙発(しょうしょかんぱつ)※、混乱、精神虚脱、進駐等々、出来事は余りに大き過ぎるのである。誠に大試練の大暴風である。最終最後の大困難である。
国民が真に精神的に虚脱しているならば、混乱は日一日と累積したに違いないが、顧みて割合に落ち着いている。寧(むし)ろ暴風の後の静けさとも見られる。無口の落ち着いた国民の定石とも考えられる。
三千年伝統の潜勢力も窺(うかが)われる。悲観すれば限りもないが、自信たっぷり反省して楽観するのが、再建の基礎である。
三十年来生死を超越した出光としては当然の楽観である。寧ろ四ヶ月の短期日を以て、峠は越されんとしていると私は信じる。
虚栄を去り実質に就き、贅沢(ぜいたく)を忘れて質素に生き、模倣を退けて創作に目覚め、日本民族本然の姿に帰る時に、この姿こそ真に世界が要求する人の社会である。
この姿を以て世界平和及び文化に貢献し得るのである。大困難の本年年末に処して己(おのれ)を顧み、来るべき進路に積極的であるべし。
出光としては、多年手慣れた石油業を経営する事は許されない。多数の帰還者を迎えつつ苦心の存する所である。
折柄ラジオの修理業が持ち込まれつつある出光式販売網の行き方に充(あ)てはまらないとも限らない。大に研究を要する。
年末に際して過去を顧み新年に期待を有する。
※詔書渙発:詔書を出すこと