(出典:1972年刊「我が六十年間 第一巻」152~153頁)
しかしながら、この後、最も直接にかつ深刻に諸君を不安ならしむるものは、この後の苦しみである。
焼野ヶ原に於けるドン底生活、更に加わる新たな負担、突破せねばならぬ建設の苦しみ、これらに堪え得るかの不安である。
この大任を果たし、聖旨(せいし)に答え奉り、祖先の霊に報告するは容易の事でない。これは、死に勝る苦しみを覚悟せよ、との一言に尽きると思います。
この後引続き種々なる苦難が来る毎に、死んだ方がましだと思う事が続くと思う。
私は創業二~三十年前、人生は斯(か)くも苦しいものか、死ななければこの苦しみより逃れる事は出来ないとしみじみ苦しみ続けた。
親友も私が自殺するであろうと何度も思ったか知れないと、語ってくれた。
この連続した苦しみは私も今日にして居るのである。
艱難(かんなん)汝(なんじ)を玉にす、と言う事はどうしても忘れられない。
三国干渉、日露戦後の国難が過去において日本を強化し発展させ第一次世界戦争の一時の安逸が日本を如何(いか)に国歩艱難に導いたかは、かねがね述べた通りである。
苦労は力(つと)めてせよとは、店是(てんぜ)であり私の常套語(じょうとうご)である。
戦時中の今迄の苦労が偉大なる精神的根幹を強化した事も述べた。
この後の苦労が国家の前途に大なる結果を齎(もたら)す事も争えない事であるとするならば、吾々は如何なる苦しみも堪え忍ばねばならぬ。
しかしながら、この苦労は吾々があって知らない深刻なものである。
食糧の不足、失業問題の解決、思想下の闘争、働いても働いても追い来る窮乏等々、一つだけでも相当の苦労である。
これら大苦労の重複、しかも連続する艱苦(かんく)、死んだ方がましと言う事になる覚悟をせねばならぬ、これが国家に対し祖先に対する責任であり、やがては、世界人類に対する務めである。
第一線にある同胞同志のこの後の苦難を思う時、吾々の苦労はまだやさしいものであると思う。
日本人は艱難を永久の友とする所に、日本精神あり、武士道あり、人類に対する貢献があるのである。
苦労を恐れるものは日本人たり得ないものである。