(出典:1966年刊『マルクスが日本に生まれていたら』65~67頁)
出光
今度の戦争中、共産主義から転向した人が相当出た。門司でもその人たちの「更生会」が出来て、そういう人を保護し指導する会があった。
ぼくはそのとき門司の商工会議所の会頭で、その会の副会長、つまり資金集めをさせられていた。
或るとき、20人ばかり会員が寄ったときに、小倉の或る検事が、せっかく君らが更生してもやはり衣食が安定しなければまた動揺するかもしれない、という意味のことを訓示の中にちょっと入れたんだ。
そうしたら1人が立ち上がって、「今の検事の話はけしからん。実に検察官らしい態度で不愉快だ。われわれは食わんがために生きているのではない。主義のために生きているんだ」と言う。そうしたらみな黙りこんでしまった。
そこでぼくは、主義者というものは、人のことばかり責めることを知っておって、自分のことを顧みることを知らない態度があたまにきたので、すぐ立って「君は検察官が検察官らしいと言ったが、今の君の態度は主義者らしいぞ。人のことばかり責めずに自分のことも少しは考えたらどうだい。検察官は検察官らしいのがいいじゃないか。君は主義者らしいからいいじゃないか。俺は油屋をやっていて、油屋らしいからいいじゃないか。それがらしくなかったら、おかしいぞ。そこで一つ君に問題を出すが、1と1を加えるといくつだい」と言ったんだ。
そうすると、2じゃないですかと答えた。ぼくは「それは数学、学問だが、そのまま社会に応用していいか」と、さらに突っ込んだ。 そうすると、「学問も社会も同じですよ」、こういう返事だ。
だからぼくは「それは違う。社会では1プラス1にさらに人情というものも加えなければならない。人情を加えなければ社会には通用しないぞ。君らは学問をそのまま社会に応用する悪い傾向がある」と言ったら、相手は黙りこんでしまった。
後でその人は「あの油屋のおやじは面白いことを言うね」と言っておったそうだ。