日章丸船上で記者団の質問に答える店主
(出典:1966年刊『マルクスが日本に生まれていたら』102~103頁)
質問
これまで出光の経営の具体的あり方を通して、いかに人間が疎外状況から抜け出すかについて述べていただきましたが、マルクスと出光の変革の対象やその方法について比較してみますと、変革の対象として、マルクスは社会構造そのものを変えることによって、平和なしあわせな社会をつくりたいと考えたのに対し、店主は、人間そのものが尊重すべき人間に帰ること、一言で言えば、本来の日本人に帰ることによって、その人間が住みよい社会をつくればいいと考えておられる。
またその方法としては、マルクスは階級闘争の道をとったのに対し、店主は、まず愛情と鍛錬によって、享楽やぜいたくをつつしむ尊重すべき人間を育成して、その人がいろんなことを判断していけば、立派な社会が出来るということを、現実に出光という事業経営の中で示しておられる。
こういうように要約できると思いますが…
出光
社会は人間がつくっているものだから、その人間がまず、心の人間に帰れということだね。
愛情を中心としたような人間が、社会の仕組みを仲良く住みよいようにつくればいいんだ。
知恵ばかり発達したような人間では、知恵を悪用してなにをするかわからない。とくに大きな戦争の後では、知恵ばかりが急激に発達して心は退廃してしまうのが普通なのだ。それが今日の世界の行き詰まりを来たしている原因じゃないかね。だから心の人間でなくてはならない。
最近ぼくは「知るところを忘れて行うところを知る」という言葉をよく使うんだが、今日のごとき知恵ばかり発達しているときには、知恵を忘れて心の人間となって行うことが最も必要じゃないかね。
心の人間がつくれば、平和と福祉の社会が出来るということであって、理屈でいくら社会構造を変えてみても、なんにもならない。
平和・福祉をつくろうとする人間の心が出来て、その心が知恵や技術を利用して、社会の仕組みを考えていくということだ。
そしてその心は、日本の平和の三千年の歴史に示されているということだね。