運営より経営へ


東銀座に移転した出光本社

(1948年4月 詔書奉読式における訓辞「運営と経営」より)

先年私は、貴族院の会議において運営より経営に移せと迫ったことを思い出した。
戦時中、事業経営者の力は無視せられて、すべては企画され、その運営が各方面に指図された。
こうなると事業家は指図のままに動いておればよいので、事業は全然事務となり、経営者は受動的となり、責任は軽く、経営は運営と変わったのである。戦時中経営という言葉は消失して、運営という言葉のみが用いられていた。

元来事業の経営ということは非常にむずかしいことで、学者や理論家や宗教家にできるものではない。
学理や理論にとらわれてはならないのはもちろん、多くの場合これから離れねばならぬ。
頭のいい、素質のいい人が、多年の間学問や理論を参考にして、人間という生き物、社会という動いているものを相手に命がけで体得した六感、見透しの力を基として、非凡の努力をなすところに生まれてくるのである。
運営が受動的、事務的、無責任なるに反し、経営は主動的であり、事業であり、責任そのものが経営である。
責任者なき運営は理論倒れとなり、生産の不振となり、インフレの進行、国家の破産となる。
経営者として責任ある人を得てはじめて事業は成立するのである。
ひとり事業のみでない、国家の政治も運営より経営に移すべく、責任ある経営者を選ばねばならぬ。

アメリカの援助をあおぎ、外資の導入を語るには、まず運営を経営に改める態勢を整えねばならぬ。
責任政治の確立、統制の極度の緩和、自由市場の復活、税制の大改革、労働法規の改善、等々によって、人々による経営をはじめ、予算の均衡を得たる国家、収益のある事業を実現せねばならぬ。
まず責任政治家、責任経営者の育成に進まねばならぬ。
かくしてはじめてアメリカは日本援助の目的を達し、資本投下の気にもなるのである。
要は実力ある真の経営者をつくり、早く運営より経営に移るべきである。

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