出光は実行有言である


イラン石油を積んで川崎油槽所に着桟した日章丸二世

(昭和54年4月 店主室教育第11期生に対する訓辞「人間のあり方がすべて決する」より)

空理空論はだめだということだ。
だから実行しなければだめだということは一般の通論になっている。
逆に言えば、“有言不実行”ということは、何もせんということだ。
学者がそうだよ。理屈ばっかり言って実行はできん。

“有言不実行”の次に、黙って実行せよというのが、“不言実行”だ。
実行に重きをおいたのだ。一般社会の人は、黙って実行せよということになっている。

ところが出光は“不言実行”で黙っておってはいかん。
実行して、それをもって人に示唆を与えるのだ。これが“実行有言”じゃないか。
実行して、人にこうしなさいといえるのが出光じゃないか。示唆を与えるのだ。“実行不言”は、我利我利亡者のやることじゃないか。
そうじゃなくて、世間のため、人のために教えてやろうということになれば、“実行有言”じゃないか。
それはいま、出光がやっていることだろう。なんでも、あからさまにやっている。
僕が、ものを隠したことがあるか。あればいってみたまえ。首切るぞ(笑)。

実行して、人にこうしなさいというのは、いいことを実行していないといえないよ。
世間のためになるいいことをして、こうしなさいというのが“実行有言”だよ。
そこに出光がきているということだ。わかるか。わかるとすれば頭はいいな(笑)。

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