現在の出光を試験管内の参考品と見るところに、製品の尊厳があり将来性がある


終戦後の電気部(福岡県飯塚店)

苦節三十年、店員とともによく働き、またよく苦労に耐ええたと思います。
そして何ものか出来たようでもあり、しかして創作も加味されているようでもあり、自分のみでなく他人にも鑑賞してもらえるような気もするのであります。

三十年は非常に長くもあり一瞬の短さでもあります。
出来たものは大きいともいえるし、試験管内の研究品ともいえるのであります。
出来たのは人の力の試験か、なんだと一笑に付せられるような、平凡な、簡単な、至極ありきたりのものであります。
人生の真理というものは概してこのたぐいであります。

現在の出光商会を完成に近づきつつありと思うのは退歩であり、試験管内の参考品と見るところに、製品の尊厳があり将来性があり、また過去の努力の甲斐があるのであります。
人間尊重は真理であり、また実行においてわれわれは勝ったのであります。
しかしいまだ試験管内のことであるかもしれない。社会全体に製品として利用されうるかは今後に残されたる問題であり、私の生涯もあるいは研究室に終わるのかもしれない。
いずれにせよこの大問題解決の責任は新入店員諸君の双肩に残されたものであります。
不幸にして諸君は出光商会順調の時代のみを見て忍苦の体験を有しない、生か死かの極地に身をおくの機会を得られない、死線の苦しみを体得しえない、死中活を得るの心境など思いも寄らないのである。
環境を支配するにはいまだあまりに力が弱いのであり、むしろ環境に引きずられるのである。

幸いに先輩諸君の創業当時の燃ゆるがごとき意気と、その後における不撓不屈(ふとうふくつ)の精神とを思索し、私がただ三十年の体験にのみよってものしたるこの一文を熟読玩味し、つとめて難につき苦難に向かい、試練の機会を逸せず、修養の生涯を送るならば、必ずや大事を完成することができると信ずるのであります。
かえすがえすも先輩の築きたる温室に中毒せざらんことに留意せられたいのであります。

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