「資本は人なり」はアメリカでも理想である


門司本店の初荷風景

この間、ニューヨークに行ったところ、マニュファクチュアラーズ・トラスト・カンパニーという銀行があって、それはアメリカで四番目の銀行であるが、そこの頭取がどうしても会いたいというから私は会った。
そこで私ははじめに「出光の資本は人であるから、資本金というものは、わずか110万ドルである。
しかし人が借りてくる資金というものは数億ドルに達している。
出光は資本と資金とを判然と区分している」と話した。
そう言いながらも強い反対を受けるものと期待していたところが、これは驚いたことに非常に礼賛を受けた。
「それは、君、われわれの理想でもあって、われわれもそういうふうにやりたいけれども、そんなことは実現できるはずがない。たった110万ドルの資本でもって、数億ドル借りるなどということはできない」と驚いていた。
実際はこの110万ドルの資本も、戦時中、軍の命令によって株式会社にしたために、かりにつくった資本であり、出光の本来の考え方からすれば、資本金は無をもって理想とし、人が資本なのである。
さらに、私が「資本は人なりといわれるような尊い人はやめさせない、出勤簿もいらないし、労働組合も要らない、残業手当も辞退する、というような状態になっている」と言ったら、「それはますます驚くべきことだ」といっていた。バンク・オブ・アメリカが。

「出光の資本金は少なくてもよろしい。資本金に貸すのではない。合理的経営に対して貸すのだ」と言って、「出光の資本は人なり」ということを認めていたのであるが、今度また、マニュファクチュアラーズ・トラスト・カンパニーで、はじめてアメリカの人も、資本は人である。
人が資本であることを理想としていることを聞かされて非常に嬉しく感じた。
このことは諸君がしっかり頭の中に入れておいてもらいたいと思います。

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