出光佐三は会長に、出光計助は社長に就任
1966(昭和41)年、会長に就任した佐三は「日本人の世界的使命」を伝える講演で全国を回るようになりました。
世界初の20万トン級タンカー「出光丸」の竣工に際しては、「次代の日本を背負う若い人たちに日本民族の優秀性と世界的使命を教え、高く尊い夢を与えたい」と、全国から1万5000名の中学生を招待しました。
全国各地の中学生
1966(昭和41)年、会長に就任した佐三は「日本人の世界的使命」を伝える講演で全国を回るようになりました。
世界初の20万トン級タンカー「出光丸」の竣工に際しては、「次代の日本を背負う若い人たちに日本民族の優秀性と世界的使命を教え、高く尊い夢を与えたい」と、全国から1万5000名の中学生を招待しました。
全国各地の中学生